震災から20年 スマホで避難所を一目で確認 防災アプリを開発

2015年01月17日

震災から20年 スマホで避難所を一目で確認 兵庫・西宮で市民が防災アプリを開発

震災から20年 スマホで避難所を一目で確認 兵庫・西宮で市民が防災アプリを開発
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Develop citizens disaster prevention app in the confirmation Hyogo Nishinomiya at a glance the shelter in '20 smartphone from the earthquake

The smartphone app "shelter map" to convey the information of shelter in opened in the event of a disaster, Nishinomiya, Hyogo Prefecture of company employee, Hayashi Takuma's and (39), the city's software development industry, Takenaka AkiraHiroshi's (39) but I have developed. Cooperation of local FM stations "Sakura FM" that transmits such as disaster prevention information. App a download unnecessary, it is possible to see from the agency's website.

App originally March this year, when Bal events Hayashi chaired the executive committee, Takenaka's development map app that provides information on the store during business. In large typhoon of this year in August, from the fact that many of the shelters in two consecutive weeks in the city has been established, and will Ikaso the function of app that can reflect the information on the map in real time to the disaster prevention and disaster mitigation, and arrange to shelter version was.

The app, posted the position and phone numbers of all 139 shelters in the city. Based on the information of the shelter opened situation that reaches from the Sakura FM, arrow changes from gray to blue to refer to a shelter in opening.

2 people have said, "of course you make the for proper shelter judgment of emergency, I want to help to the improvement of everyday disaster prevention awareness. App if help disaster prevention and disaster reduction".
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震災から20年 スマホで避難所を一目で確認 兵庫・西宮で市民が防災アプリを開発

災害時に開設中の避難所の情報を伝えるスマートフォン用アプリ「避難所マップ」を、兵庫県西宮市の会社員、林拓真さん(39)と、同市のソフトウエア開発業、竹中章洋さん(39)が開発した。防災情報などを発信する地元エフエム局「さくらFM」が協力。アプリはダウンロード不要で、同局のホームページから見ることができる。

 アプリはもともと今年3月、林さんが実行委員を務めるバルイベントのときに、営業中の店の情報を提供する地図アプリを竹中さんが開発。今年8月の大型台風で、同市でも2週連続で多くの避難所が開設されたことから、リアルタイムで地図に情報を反映できるアプリの機能を防災や減災に生かそうと、避難所バージョンにアレンジした。

 アプリには、市内の全139避難所の位置と電話番号を掲載。市からさくらFMに届く避難所開設状況の情報をもとに、開設中の避難所を指す矢印が灰色から青色に変わる。

 2人は「緊急時の適切な避難所判断のために活用するのはもちろん、日常の防災意識の向上にも役立ててほしい。アプリが防災や減災に役立てば」と話している。
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阪神・淡路大震災20年 「1.17」
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阪神・淡路大震災20年 各地で黙とう(NHK)

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で20年になり、被災した地域では地震が起きた午前5時46分に合わせて犠牲者に黙とうをささげました。

このうち神戸市中央区の「東遊園地」では、17日の日付を表す「1.17」の形に並べられた竹の灯籠に火がともされました。
震災から20年のことしは例年より多くの遺族や市民が会場を訪れ、地震が起きた午前5時46分に全員で黙とうをささげて犠牲になった人たちを追悼しました。
このあと敷地内にある慰霊碑の前で、神戸市主催の追悼の集いが開かれ、震災で自宅が倒壊し33歳だった母親を亡くした神戸市東灘区の銘田奈津紀さん(26)が遺族を代表して、「震災や母のことを話題にすると家族やその場にいる人が悲しみ、苦しむため、話すことを避けてきましたが、母のことを忘れてはいません。私が今、生きているのは母のおかげです。大好きだった母と髪の毛を乾かしあい、癖毛だった母の髪を何度も、といた思い出から私は美容師になりました。私はこれからも母の分も強く生きていきます」と追悼のことばを述べました。
続いて、震災の頃に生まれた新成人を代表して神戸市灘区の小川和昭さん(20)が「私たちに震災当時の記憶はありませんが神戸の復興と共に成長してきたことは事実です。人と人とのつながりや絆の大切さを次の世代に伝えていきます」と述べました。
17日は各地で追悼の行事が行われ、犠牲者を悼むとともに改めてこの20年の歩みを見つめ、震災の教訓を語り継ぐ1日になります。
神戸市によりますと、追悼の集いが開かれている神戸市中央区の「東遊園地」には午前7時までにこれまでで最も多いおよそ1万4000人が訪れたということです。

「この日が来るのは悲しい」
震災で、当時45歳だった義理の弟を亡くした神戸市東灘区の72歳の男性は「20年という期間はあっという間でした。真面目でいい弟だったので、毎年、この日が来るのは本当に悲しいです」と涙を流しながら話していました。

「弟にありがとうと伝えに来た」
震災で当時、大学4年生だった弟を亡くした歌手の女性は、「震災で亡くなった弟の存在があったから、ここまで生きてこられました。きょうは弟にありがとうと伝えに来ました」と涙を流しながら話していました。

「20年間、母を忘れたことはない」
神戸市灘区で被災し母親を亡くしたという56歳と54歳の姉妹は、「20年間、母を忘れたことはありません。これまでつらくてあまり話すことはありませんでしたが、母のためにも震災のことを次の世代に語り伝えていきたいです」と話していました。

「人の支えで生きてこれた」
61歳だった夫を亡くした神戸市灘区の78歳の女性は「いろいろな人の支えがあって、震災後のつらい時期を乗り越え、きょうまで生きてこれました。きょうは、夫にその報告をしに来ました。私にとっては、長いようで短いような20年でした」と話していました。

「息子亡くした気持ち変わらず」
神戸市東灘区に住んでいた20歳の大学生の息子を亡くした香川県小豆島町の67歳の女性は、「毎年ここに来ていますが、20年がたっても息子を亡くした当時の気持ちは変わりません。私は神戸から離れた所に住んでいるので、こういう気持ちを分かち合う機会がなかなかありませんが、ここに来ると多くの人が何らかの思いを抱えていて、私は1人じゃないと実感できます」と話していました。

「新しい家族増えたと報告」
兵庫県芦屋市の自宅で当時4歳の弟を亡くした32歳の男性は、「去年3月に結婚したので、『新しい家族が増えたよ』と弟に報告しました。今でも弟が家族の中心にいて、一緒に暮らしているような気持ちでいます」と話していました。
また男性の妻は、「夫の弟がどんな大人に育っていたのか、一度でいいから会ってみたかったです」と話していました。

「命あるかぎり娘の供養を」
神戸市長田区で当時30歳の長女を亡くした75歳の男性は、長女の遺影を抱えて集いの会場を訪れ、「毎年1月17日は、娘に会える日だと思っています。きょうも長田区で供養をしてから、亡くなられたほかの方にも祈りをささげようと思いここに来ました。20年がたっても、娘を亡くした気持ちは変わることはなく、命あるかぎり娘の供養をしていきたい」と話していました。

「思い出すと居たたまれない」
神戸市須磨区に住んでいためいを亡くし、みずからも被災した82歳の女性は、「毎年、この日が来ると、当時の出来事をきのうのことのように思い出します。めいは娘と年が近かったので、思い出すと居たたまれない気持ちになります」と話していました。

「父と友人失いとてもつらい」
震災で兵庫県淡路市に住んでいた父親を亡くし、自身も神戸市東灘区で被災した際のけがの後遺症で車いす生活を送っているという神戸市須磨区の67歳の男性は、「震災で仕事をなくし、父親とたくさんの友人を失ったことが、今でもとてもつらい思い出です。震災がなければあと10年は元気に働けていたのにと思うと悔しいです。震災後は引っ越したことで知り合いもいなくなり、とても寂しい日々を送っていました。ことしは震災前に住んでいた場所の近くに引っ越すことにしていて、再び慣れ親しんだ場所で暮らせることが僅かな希望になっています」と話していました。

震災から20年の課題
20年前の17日、神戸市を中心に震度7の激しい揺れが襲い、6434人が死亡、およそ25万棟の住宅が全半壊しました。
その後、およそ16兆円を投じて復興事業が進められ、この20年で被災した地域の人口や経済指標はおおむね震災前の水準まで回復しました。
また、震災はその後の日本の防災や災害対応の在り方にも大きな影響を与え、全国で建物の耐震化が進められているほか、被災者を支える災害ボランティアの重要性も広く認識されるようになりました。
しかし、残された課題もあります。
住まいを失った人たちが暮らす復興住宅では急速に高齢化が進んで2人に1人が65歳以上となり、誰にもみとられずに亡くなる「孤独死」は去年1年間で40件に上っています。
また、震災を知らない世代も増え続け、神戸市では震災後に生まれたり市内に転入してきた人が全体の44%に上り、地域で助け合って生き抜いた経験や日頃の備えの大切さといった教訓をいかに次の世代に伝えていくかが課題になっています。

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震災対策 20年の進歩は? 

イチ子お姉さん 1月17日は阪神(はんしん)大震災(だいしんさい)(キーワード)からちょうど20年の区切りの日ね。この間、大きな災害から人の命を守れるように様々な分野で対策が進んだわ。
からすけ 「揺(ゆ)れに強い」という広告が付いたビルやマンションも増えてきた気がするね。普段(ふだん)あまり気にしないけど、技術はどこまで進んだんだろう。

■揺れに強い工法を開発

 イチ子 世界有数の地震国といわれる日本では1年に何回地震があると思う?

 からすけ そうだなあ、500回くらいかな?

 イチ子 2014年は震度1以上の地震が2000回を超えたそうよ。最も大きかったのは11月に長野県北部を震源として起きた地震で、最大震度6弱を観測したの。

 からすけ 想像がつかないよ。怖(こわ)かっただろうね。

 イチ子 気象庁は震度0から震度7までの10段階で揺れの大きさを発表しているの。震度5と6には「強」「弱」の2段階があるわ。震度6弱は「立っていることが困難」「固定していない家具の大半が移動する」レベルね。


 からすけ 20年前だから僕(ぼく)は生まれてないけど、阪神大震災は震度7だったの?

 イチ子 そう。ただ、当時は観測をする人が感じた揺れや、建物の被害状況を確認してから震度を決めていたの。阪神大震災が起きた後、より早く正確な被害状況を知るために、機械計測による判定と「強」「弱」のような細かい震度基準が導入されたのよ。

 からすけ どの地域がどのくらいの被害を受けたのかがすぐわからないと、救助もできないもんね。

 イチ子 阪神大震災では多くの建物や鉄道、道路が崩(くず)れて、たくさんの犠牲者(ぎせいしゃ)が出たわ。揺れに強い建物やインフラづくりに対する意識が高まるきっかけになったの。

 からすけ 地面が揺れるから、その上に造る建物はどうしても揺れてしまうよね。どんな仕組みなのかな。

 イチ子 建物にどのくらいの強さが必要かは法律が定めているけど、さらに安全を考えた耐震(たいしん)技術(ぎじゅつ)(キーワード)には主に耐震、制震(せいしん)、免震(めんしん)の3つがあるわ。耐震は建物の柱やはりの強度を高める方法。制震は揺れを吸収するダンパーなどと呼ばれる器具を取り付ける方法。学校の外の壁に取り付けられているのを見たことはない?

<キーワード>
 阪神大震災 起きたのは1995年1月17日早朝で最大震度7。死者約6400人、負傷者約4万3800人の被害をもたらした。
 耐震技術 地震が起きたときに建物などへの被害を抑える技術。住宅メーカーや建設会社が開発を進めている。

 からすけ ああ、工事を見たことがあるよ。

 イチ子 建物を全部造り直すのは難しいから、補強工事をしていたのね。もう一つの免震は、高層ビルやマンションと地面の間に専用の装置をはさんで、地面が揺れても建物が直接揺れないようにする方法ね。12年に開業した東京スカイツリーは、揺れるタワーと異なる方向に動く装置をつけて全体の揺れを抑えるの。様々な技術が開発されているわ。

■新幹線ストップ より早く

 からすけ 11年の東日本大震災も最大震度は7だよね。建物は大丈夫でも電気や水が来なくて生活がしばらく大変だった人も多かったよね。

 イチ子 そうだったわね。その教訓から、最新式のビルやマンションでは建物の中に小さな発電機能を備えたり、井戸のような貯水施設(ちょすいしせつ)を設けるケースも出てきたわ。

 からすけ 大きな揺れや停電まで起きたのに、新幹線は大事故を起こさなかったよね。すごいと思ったなあ。

 イチ子 新幹線には揺れが来る直前に伝わる小さな波動(はどう)を瞬時(しゅんじ)に計測して、高速で走っている列車の自動ブレーキをかける仕組みがあるの。線路が大きく揺れ始めてしまってからでは遅いから。今では数秒で列車を止める判断ができるようになったのよ。



 からすけ ところで、また大きな地震が来るのかな?

 イチ子 日本で今、心配されている地震の一つが南海トラフ地震。東海地方から九州地方にかけての深い海底で起きる可能性がある地震だけど、太平洋側のほとんどの地域に影響が出て、最大30万人以上の死者が出るという予測があるの。建物が崩れるだけではなく、大きな津波(つなみ)や火災も怖いわ。

 からすけ 東日本大震災以上じゃないか。

 イチ子 だから政府は対策を急いでいるの。建築技術はもちろん、地域の防災組織への参加や家具の固定も呼びかけているわ。家庭で準備できることも多いの。

 からすけ 携帯電話(けいたいでんわ)には地震発生を伝える速報メールが来るんだよね。普段から地震への意識を高めないとね。

 イチ子 残念だけどいつか災害は起きる。その時の被害を少しでも減らす「減災」という考え方は、ますます重要になるはずよ。


■被災体験、ゲームで共有

渋谷教育学園渋谷中学高等学校の真仁田智先生の話
 阪神大震災の経験から、揺れに強いビルなど技術の備えはさらに進みました。しかし実際に被災してしまったら、避難所(ひなんじょ)などに居合わせた人たちはギリギリの状況で、限られた選択肢(せんたくし)から判断を迫られるようなケースが出てきます。私たち一人ひとりにも心の準備が必要なのです。
 「クロスロード(分かれ道)」という防災ゲームをご存じでしょうか。「3千人いる避難所に2千人分の食料が届いたが、以後の見通しは立たない。食料担当者は食料を配るか」――。こうした難しい問題にYESかNOか、チームで答えを出します。正解はありませんが、どのように考えたのか、そのプロセスを共有することが目的です。阪神大震災の災害対応にあたった神戸市職員の経験から生まれたこのゲーム、現在は多くの学校で教材として使われています。

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rikezyo00sumaho at 07:07|PermalinkComments(0)