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2019年12月11日

ノーベル化学賞吉野彰(71)さん 中高時代に最も熱中した意外なこと / 恩師 旧姓 内藤喜恵さん(83)は、「ご立派でした」科学(『ロウソクの科学』) への扉開いた女性教師

ノーベル化学賞吉野彰(71)さん 中高時代に最も熱中した意外なこと / 恩師 旧姓 内藤喜恵さん(83)は、「ご立派でした」科学(『ロウソクの科学』) への扉開いた女性教師




 2019年のノーベル化学賞受賞者となったのは、リチウムイオン電池を開発した旭化成名誉フェローの吉野彰さん。日本人として27人目(アメリカ国籍を取得した人を含む)のノーベル賞受賞者となった吉野さんが、子どもたちに向けたメッセージを語ってくれた。小中学生向けのニュースに掲載された記事を紹介する。



*  *  *
――小学生のころはどんな子どもでしたか?

吉野 自然のなかでセミやトンボ、カブトムシを追いかける、ごく普通の子どもでした。転機になったのは、小学校4年生のとき、女性の担任の先生から薦められた『ロウソクの科学』です。「ロウソクはなぜ芯が必要か」「なぜ炎は黄色いのか」など、「おもしろいなあ」と思いながら読みました。その本を入り口に、化学やものづくりに興味を持ったのです。

―─そのころから、夢は研究者でしたか?

吉野 はっきりそう思っていたわけではありません。中学や高校でいちばん熱中したのは水泳で、学校のプールでひたすら泳いでいました。そんななかでも化学への興味は変わらず持ち続け、自然と理科が得意科目になったので、大学は工学部に進み、大学院修了後は旭化成に入って研究職に就きました。

―─大学時代から電池の研究をしていたのですか?

吉野 いいえ。入社してから3つの研究テーマに失敗し、4つ目に取り組んだのがリチウムイオン電池です。「きっと世の中の役に立つ」と思いました。どんな材料を電極に使えば安全な電池になるか、根気強く研究を続けてようやく、「これだ!」という材料と出合いました。最初はなかなか売れませんでしたが、あるとき突然、売れ始め、今では、パソコン、スマホ、電気自動車など、あらゆるところに使われています。研究していた当時、こんな未来は99パーセント見えていませんでした。でも、1パーセントくらい、においは感じていたと思います(笑)。

―─「ジュニアエラ」読者へのメッセージをお願いします。

吉野 小中学生のうちに大切なのは、興味を持てるものを見つけることです。そのために、いろいろなことを試し、刺激を受けてください。ボールを蹴る楽しさにひかれ、Jリーガーを目指す人もいるでしょう。私の場合は、それが『ロウソクの科学』でした。

 もしも失敗が続いたとしても、焦らないでください。ノーベル賞受賞者がそのテーマの研究を始めた年齢は平均37.1歳。私も33歳のときでした。いくら科学が発展しても、世の中にはわからないことがまだたくさんあります。いつかきっと、「これは!」というテーマが見つかります。それまでは、たくさん失敗をしてください。失敗から学んだ経験が、きっとあなたを成長させ、困難を乗り越える力になりますから。

【吉野 彰(よしの・あきら)】
 1948年、大阪府吹田市生まれ。府立北野高校から京都大学工学部に進む。同大大学院を経て、旭化成工業(現旭化成)に入社。電池材料事業開発室長などを務める。2017年から旭化成名誉フェロー、名城大学大学院理工学研究科教授。

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【解説】リチウムイオン電池は「夢の電池」
 私たちの暮らしはいま、リチウムイオン電池なしでは成り立たない。

 スマートフォンや携帯電話、ノートパソコンといった電子機器が手軽に持ち運べるようになったのは、超小型で、繰り返し充電でき、長時間電気を供給できる、この「夢の電池」が登場したからだ。

 その原型を開発したのが、吉野彰さん。1985年のことだ。そして91年、ソニーが商品化に成功。携帯電話やビデオカメラなどに搭載され、世界中に広まっていった。

 開発のカギになったのは、リチウムという元素。最も軽い金属で、電気を生み出す反応を起こしやすい。原子の粒が小さいので、電池の電極に使うと小型で高出力の電池ができる。

 このリチウムを電極に使い、76年に世界で初めて充電できる電池をつくったのが、吉野さんと共同受賞するスタンリー・ウィッティンガム博士だ。

 同じく共同受賞するジョン・グッドイナフ博士は80年、リチウムを金属のままでなく、コバルト酸リチウムという化合物にしてプラスの電極(正極)に使い、性能を高めた電池を考案。この正極が、いまに続くリチウムイオン電池の正極の「起源」になった。

 しかし、化学反応を起こしやすいリチウムの性質が災いして、いずれも発火や爆発の危険がつきまとい、そのままでは使えなかった。

 その壁を打ち破ったのが、吉野さんだ。マイナスの電極(負極)に特殊な構造の炭素材料を使うことで安全性を飛躍的に高め、小型化にも成功。だれもが使える電池に変えた。

 いまではリチウムイオン電池を搭載した電気自動車(EV)が街を走り回り、近い将来、「EV時代」が来ると考えられている。太陽光など「自然エネルギー」でつくった電気を蓄える電池として、一般の家庭にも普及してきている。

 賞の選考にあたったスウェーデン王立科学アカデミーは「リチウムイオン電池は私たちの暮らしに革命を起こし、ワイヤレス社会、化石燃料を使わない社会の基盤になった」と、吉野さんらの業績をたたえた。
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「ご立派でした」科学への扉開いた女性教師 吉野彰さんへ

ノーベル化学賞の受賞が決まった吉野彰さんは、化学に興味を持つきっかけが、大阪の吹田市立千里第二小学校に通っている時に、担任の教師からロウソクが燃える仕組みを科学的に解説した本、『ロウソクの科学』を薦めてもらったことだったと、会見などで紹介しています。


ノーベル賞の授賞式に出席するため訪れているスウェーデンのストックホルムでも、吉野さんは「ノーベルレクレチャー」と呼ばれる記念講演や現地の日本人学校を訪れた際など折に触れてこのエピソードを紹介しています。

吉野さんはことし10月のNHKのインタビューの中で、本を薦めた当時の担任が女性の新任教師で名前が「内藤先生」だったと記憶していると話し、「私の好奇心をくすぐっていただきました。ノーベル賞につながりました。先生がご存命でしたら、ぜひお会いしたいです」と話していました。

NHKが吉野さんの同級生や、小学校の関係者、当時の記録などを元に取材を進めると、「内藤先生」は北海道に滞在していることがわかり、直接訪ねました。

津田喜恵さん、旧姓 内藤喜恵さん(83)は『ロウソクの科学』を薦めたことは覚えていないと言うことですが、「よく私の名前を覚えていてくださったなと思い、びっくりしています。ノーベル賞は私がきっかけということではなく、吉野さんご本人が資質と能力をお持ちで勉強をなさったからこそ結果につながったと思います」と話していました。

津田さんは吉野さんが小学4年生の時に新任の教師として赴任し、子どもたちとは年の離れたきょうだいのようなつもりで接していたということです。

吉野さんへのメッセージをお願いすると、津田さんは『ロウソクの科学』の本に「ご立派でした」と記しました。

メッセージに込めた思いについて津田さんは「『ご立派です』と言うのは簡単なことですが、どんなにか大変で、どんなにか努力をされ、どんなにか嫌な思いをしても努力する精神力を発揮されたと思います。そういう意味を込めて『ご立派でした』とお伝えしたいです」と話していました。

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参考

ノーベル化学賞  吉野彰さんが記念講演「環境技術革命が起きる」

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