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2019年04月30日

天皇陛下 きょう退位 (天皇退位 202年ぶりの天皇譲位へ、皇室を知る7つのポイント 「生前退位は57回」)

天皇陛下 きょう退位 (天皇退位 202年ぶりの天皇譲位へ、皇室を知る7つのポイント 「生前退位は57回」)


 天皇陛下が30日、退位されます。国事行為として行われる退位に伴う最後の儀式「退位礼正殿の儀」は、午後5時から皇居・宮殿で行われます。

 陛下は午前10時から、退位に伴う一連の儀式として皇居にある宮中三殿を参拝されます。古式ゆかしい装束を身につけ、まず、天照大神を祀る賢所、続いて、歴代の天皇や皇族を祀る皇霊殿、国内の神々を祀る神殿で拝礼し、退位することを報告されます。

 そして午後5時から、全部で11ある退位に伴う儀式の最後として皇居・宮殿「松の間」で行われる「退位礼正殿の儀」に、皇后さまとともに臨まれます。

 皇太子ご夫妻はじめ皇族方のほか、三権の長など国民の代表者300人以上が参列する予定で、安倍総理の挨拶の後、陛下から国民に向けて最後のお言葉があります。

 陛下の退位は法律で定められているため、日付が変わる5月1日午前0時に皇太子さまが新天皇に即位されます。

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皇居前、朝から写真撮影する人も

 30年と4か月に及んだ「平成」が30日、幕を閉じ、天皇陛下が退位されます。憲政史上初めてとなる退位の儀式が行われる皇居前から増尾記者の報告です。

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200年ぶりの天皇譲位へ、皇室を知る7つのポイント

 [東京 23日] - 現在85歳の天皇陛下は4月30日に退位し、59歳の皇太子さまが翌5月1日午前0時に新天皇に即位する。天皇の譲位は約200年ぶりとなる。

日本の皇室や天皇制度について知っておくべき7つのポイントをまとめた。

●初代天皇とされる神武天皇

日本の皇室は現存する世界最古の世襲制王室だと伝統主義者は考えている。8世紀の歴史書によれば、太陽神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が鏡、玉、剣を孫神に授け、それが初代天皇である神武天皇に渡されたという。神武天皇は紀元前660年─585年のあいだ在位したとされるが、実在した人物かどうかは不明だ。

●象徴的かつ宗教的存在

皇室の歴史上、ほとんどの期間において、天皇は直接的な政治権力を持つことはなく、象徴的かつ宗教的な存在だった。1889年に公布された大日本国憲法により、天皇は「国の元首」であり「統治権を総攬(そうらん)する」存在とされた。

●戦後の変化

第2次世界大戦中、戦時指導者らは神道のイデオロギーを使い、「現人神」(あらひとがみ)である天皇のためだとして大衆を戦いに向かわせたが、戦後施行された日本国憲法では、政教分離原則を規定。国家神道は解体された。今日、天皇は毎年20ほどの神道儀式を、公務とは別の私的な活動として行っている。

●天皇陛下と皇后美智子さま

1933年生まれの今上天皇は、アジアの旧植民地国との関係改善に努め、平和を愛する国としてのイメージを打ち出す役目を担ってきた。皇后美智子さまとともに、2人は皇室を近代化し、一般人にとってより親しみやすい存在に変えた。

●昭和天皇、神の子孫から国の象徴に

今上天皇の父である昭和天皇は神の子孫として位置づけられていたが、1945年に日本が第2次世界大戦に敗北した後、自ら神格を否定した。戦後間もなく日本を占領・統治した連合国軍総司令部(GHQ)が草案にかかわった日本国憲法によって、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と定められた。

●女性天皇は誕生するか

皇室典範では皇位継承資格を「皇統に属する男系の男子」に限定している。しかし、過去に女性天皇は存在した。自分の子どもに皇位を継ぐことができない中継ぎ的な役割を果たした。

皇太子さまには長女愛子さまがいる。皇太子さまの即位後、皇位継承順位1位は弟の秋篠宮さま(53)、2位は秋篠宮さまの長男悠仁さま(12)となる。3位は、今上天皇の弟である常陸宮さま(83)だ。

●天皇譲位の背景

 4月23日、天皇陛下はアジアの旧植民地国との関係改善に努め、平和を愛する国としてのイメージを打ち出す役目を担ってきた。写真は退位を前に伊勢神宮を内宮を参拝された天皇陛下。4月30日、三重県伊勢市で撮影(2019年  ロイター/Issei Kato)
これまで前立腺がんと心臓のバイパス手術を受けるなど大きな病を経験した80代の今上天皇は2016年、今後の務めを果たしていくことが難しくなると退位の意向をにじませる「お気持ち」を表明。1817年の光格天皇以来初めてとなる天皇の生前退位を可能とする特例法が翌年、国会で成立した。
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天皇の生前退位は57回もあった、「譲位」が持つ深い意味とは

 4月30日、天皇陛下が退位される。今回のような、「生前退位(譲位)」は異例のことなのか?皇位継承の歴史をたどってみると、譲位という仕組みは、後継を明確化し、争いを封じるものでもあったことがわかる。『週刊ダイヤモンド』2016年9月17日号の第1特集「日本人なら知っておきたい皇室」で掲載した記事を特別公開する。

 日本の皇室の歴史は諸説あるが、初代神武(じんむ)天皇以来の天皇が実在し、かつ平均的な寿命だったとすると、大体、西暦1世紀ごろから始まったと考えられる。

 125代という世界で他に類を見ない歴史を誇るだけに、皇位継承も時代によって変化していて、世界と比較しても独特のものが少なくない。その一つが、「譲位」だろう。

 初期の天皇は、一般的な王制と同じく崩御による皇位継承であり、父子、基本的に嫡出長男子相続である。2代綏靖(すいぜい)天皇から13代成務(せいむ)天皇まではほぼそれが貫かれる。

 その成務天皇は子女がいなかったため、皇位はおいの仲哀(ちゅうあい)天皇に引き継がれる。これが父子以外の継承の最初である。

 14代仲哀天皇は朝鮮出兵の直前に崩御し、次代の応神(おうじん)天皇は神功(じんぐう)皇后の胎内だったため、神功皇后が摂政となる。これが摂政の初まりであり、皇位は70年の空位を経て、応神天皇が継承する。

 もちろん、この辺りまでは神話的要素が大きいので、確かなことは分からない。

 ただ、死後の継承は、争いを起こしやすい。伝承によれば綏靖天皇の際にすでに継承争いが起きている。これを防ぐために考えられたのが、皇太子の制度だが、これがいつから始まったのかは明確ではない。

16代仁徳(にんとく)天皇の後は、履中(りちゅう)、反正(はんぜい)、允恭(いんぎょう)と3兄弟による継承が行われる。これ以後、兄弟継承が頻繁に行われる。これは、幼少、若年者が皇位を継承すると、政治が円滑に行われない可能性が高いため、即戦力の兄弟の即位が求められたからである。

 26代継体(けいたい)天皇は応神天皇の5世の孫であり、最も皇統から遠い血筋での即位である。

 これに次ぐのが江戸時代の119代光格(こうかく)天皇で、113代東山(ひがしやま)天皇のひ孫である。また、最後に譲位を行った天皇でもある。

皇室の歴史と伝統にのっとった後継指名の知恵

歴代の譲位した天皇、譲位を受けた天皇一覧

 最初に譲位を行ったのは、女帝である35代皇極(こうぎょく)天皇である。大化の改新に先立つ、中大兄皇子が蘇我入鹿を殺した乙巳(おっし)の変の翌日、譲位を表明した。そして次代の孝徳(こうとく)天皇の崩御を受けて、斉明(さいめい)天皇として再即位する。これを重祚(ちょうそ)といい、これも初のことである。

 この譲位が一般的になるのは、41代持統(じとう)天皇からである。これは、孫の文武(もんむ)天皇への皇位継承を確実に行うためで、次の元明(げんめい)天皇、その次の元正(げんしょう)天皇も同様の理由で譲位している。

 皇太子の制度よりも後継を明確にし、即位した若年の天皇を教育、管理できるシステムが譲位だ。このシステムは、日本社会全体に定着した。いわゆる隠居である。

 譲位は、皇位継承の争いを封じ込めるだけではない。仏教伝来以来、死を汚れとする考え方が強まり、天皇が在位中に崩御することはタブー視されるようになったためでもある。

 60代の皇位継承が生前であり、うち3代は皇位剥奪によるものなので、57代の皇位継承が譲位によって行われている。つまり、譲位は皇室制度の歴史と伝統にのっとったものなのである。

 皇位継承問題を考えるには、外せない天皇がいる。59代宇多(うだ)天皇である。先々代の陽成(ようぜい)天皇が藤原氏と対立して退位し、その後に大叔父に当たる光孝(こうこう)天皇が55歳で即位した。そして、後継問題でもめるのを恐れて自分の子女を全て臣籍降下させた。しかし、結局は自分の子に継がせたくなり、宇多天皇を皇籍復帰させて即位させた。その子の60代醍醐(だいご)天皇は臣籍降下中に生まれたので、唯一、皇族として生まれなかった天皇である。

なお、神話時代や年代があやふやな天皇を除き、最も高齢で即位したのは、49代光仁(こうにん)天皇である。40代天武(てんむ)天皇の孫であり、平安遷都を行った50代桓武(かんむ)天皇の父親である。62歳で即位し、73歳で在位のまま崩御した。光仁天皇の次に高齢で在位中に崩御したのは斉明天皇の68歳である。

 また、即位した中で最も高齢まで生きたのは124代昭和(しょうわ)天皇だが、譲位しているものの108代後水尾(ごみずのお)天皇が85歳まで生きている。そしてその子の112代霊元(れいげん)天皇も79歳まで生きている。

 こうして、江戸時代までは変化しながらも、それなりの伝統を守ってきた皇室制度は、明治時代に入ると、大きく変貌する。

 幾つかの伝統は無視され、ねじ曲げられた。これは、仏教の影響を徹底的に排除し、富国強兵に天皇を利用するためにプロシアの王制をまねてしまったからだ。

 まずは、10代8人の女性天皇がいたにもかかわらず、皇位継承者を男子に限定した。かつては女性宮家である桂宮も存在していた。もちろん、この場合、宮となれるのは独身女性だけだが、本来ならば、女性皇族も皇位継承権を持つのだから、現在の議論はかなり違ったものになる。

 天皇の即位や崩御とは無関係だった年号を一世一元と定めた。

 57代もの譲位をした天皇がありながら譲位規定を作らず、天皇は在位のまま崩御することとした。

 また、文章化されてはいないが、それまで火葬、土葬の両方が行われてきた葬儀を土葬とし、深草北陵(ふかくさきたのみささぎ)のように納骨堂の天皇陵もあるのに、墳墓形式のものとした。

 主なものだけでもこれだけある。この日本の皇室制度を大きくねじ曲げた皇室典範は、戦後の新憲法制定の際にも、ほぼその内容を踏襲した。

 天皇陛下は火葬とできるだけ小さな墳墓を望まれ、さらに、2016年8月、譲位の意向を示された。

 何よりも皇室の歴史と伝統を重んじられる陛下が、現在の皇室典範に不満を持たれているのは明らかだと私は考える。その全面的な見直しが国民全体に課せられた今後の課題だといえるだろう。

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参考
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